2010日本青少年訪中代表団808名が訪中、各地で交流を行う
日本青少年訪中代表団 -感想- 2010年10月19日(火)~10月25日(月)
・Aコース(静岡・宮城・茨城・滋賀 高校生)【唐山-天津コース】 今回の日本高校生による訪中は、振り返ってみると自分にとって、とても貴重な体験となりました。
なぜ僕が今回、日本高校生訪中代表団に参加したかというと、それは「中国」という国を自分の考えで認識したかったからです。いつも、テレビやニュースで見れば、日本を追い越そうとするほどの中国についての話題が終わることはありません。世界一人口の多い国であり、世界でもトップクラスの生産力のある中国。日本の近隣国ですが、中国への自分の考えをまとめようとする度に近代の中国の発展の歴史について知識が浅いことを知りました。インターネットや、テレビ、新聞を使えば、「他人の考え」による報道から国の発展の歴史を得ることができますが、訪中代表団として行くことで、「他人」からではなく、「自分」の考えから国を知る、見ることができると思いました。
日中関係が不安定な最中で臨んだ今回の訪中は、心配な面もあり、集団行動一つとっても気を配るもので、研修の内容の変更もやむを得ないものでした。そんな訪中によって、自分が何を得ることができたかというと、日中関係と、将来の中国についてだと思います。
僕たちが行ったコースは、工業地区や農業生態公園などで、今もなお経済発展を続けている「発展途上国」としての中国の一面でした。工業地区の新開発されていく工場、港を見ていく中でそれは、中国の現在の段階がいまだ、経済成長の途中ということと、同時にこれからの中国を予感させていく貴重な光景であり、近隣国の日本にとって、これからも重要な貿易相手国であることがうなずけるものでした。さまざまな場所を巡っていけばいくほど、日中関係の深さを理解してきました。古代から関係を深めてきた日本と中国。日本固有の文化というものを、元をたどってみれば古来に中国から来た文化だったものばかりです。長い間かかわりを持ってきた両国だからこそ、歴史を振り返るとすべてが友好的だったわけではありません。今再び関係が悪い方向に傾き始めています。お互いが納得のいく結果を導き出すというのは、到底できそうなことではありません。ですが中国の人々すべてが、このままの関係を望んではいませんでした。みんな、日本に好意を持ち、関係の回復を望んでいました。
国と国との関係は、過去の歴史を振り返ることにもなり、とても難しい話だと思います。しかし、「国」というのは、人々の意思を通す一つのまとまった組織です。今回の出来事をきっかけに、もっと日中の関係を確立させていくことができるのではないかと、考えさせられました。
訪中は自分の思い通りに事が運ばず、悔いの残ってしまう結果となりました。けれど、自分なりの考えをまとめることができ、これからのテレビ、新聞に注目していきたいと思いました。この訪中をきっかけにこれからの世界の様々な出来事に対して、僕なりの考え、想いを確立させていきたいと思います。
(静岡県1年男子)
私が訪中代表団に参加したいと思った理由は、以前本校が迎えた中国人の留学生と楽しく交流できた思い出があるからです。中国語ではなく私のつたない英語でも、一生懸命理解しようと努力してくれ、紙に書いた漢字でコミュニケーションを図り、漫画などの共通の話題を発見し笑いあった記憶は、とても温かいものとして私の心の中に残っています。今回、訪中団員募集プリントを教室で見つけた瞬間に参加を決意しました。
しかし、中国での反日デモの影響による説明会の延期、大学生の訪中の延期、そして何よりニュースで反日デモの映像を見るたびに不安は募るばかりでした。私の身の安全を心配し始める家族の意見も私の不安を増幅させました。中国に悪いイメージがついたまま出発してしまいました。
結果として、出発のときの私の不安はすべて杞憂でした。予定に変更があり、西安に行くこととホームビジットがなくなり、学校交流も一校のみでした。その唯一の時間も少なく、実際日中交流できたのは数十分でした。その点は残念でしたが、その時間でわかったことは、中国の学生も日本の学生も夢に向かって努力していることは変わらない、ということです。むしろ日本のほうが将来に明確な目標や夢がないまま生きている学生が増えているのではないでしょうか。私も社会に甘やかされている学生に入るのかもしれません。中国人は愛国心が強く、国全体が向上心にあふれているように感じました。私たちが訪問したどこも活気に満ちていました。ただ聞いていた通り、都会と地方の格差が激しいことと大気汚染が進んでいることは実感できました。高いビルが並んだ都心から少し出ると見渡す限りの地平線のギャップには驚いたし、飛行機から降りた瞬間の寒さと真っ白な空と遠くが白く霞んでいる景色は、侘びしさも感じました。しかしレストランやホテルで優しく接してくれた中国の方々、移動のときにバスを護衛してくれた警察、バスが通る道を通行止めまでしてくれたことには、国を挙げて歓迎してくれているのかな、と驚きと共に感動を覚えました。日本にいれば体験することのなかった中国の文化、常識、料理、交通ルールをこの身で体験できたことを嬉しく思います。
今回の訪中で同じ訪中団の全国の高校生とたくさん交流できました。別れ際に涙が出るほど仲良くなったたくさんの友達に出会えました。数え切れないほどたくさんの貴重な経験ができました。訪中代表団に参加できたことが光栄です。
(静岡県2年女子)
今回の訪中で、私は3度目の国際交流となりました。訪中にあたり中国の文化や急成長し続けている経済、また二国間関係など自分なりに調べてみました。そんな中、突然起きた日中間の領土問題、「訪中が中止になるのでは」と毎日テレビや新聞の報道を不安な気持ちで見ていました。
訪中は、行き先の変更など前日まで詳しいことは知らされませんでしたが、ホームビジット先での交流を一番楽しみにしていた私は、宮城県や今暮らしている仙台について紹介するための資料作りをぎりぎりまで準備していました。
実際に、予定通り中国の地を踏むことができたときは言葉では言い表すことができない思いが込み上げ、同時に「宮城県代表」という責任も感じました。各地で学生を中心としたデモが起きる中、日程も変わっていき高校生との交流会では参加する生徒は少数で私が望んでいた学校全体を通した中身の濃い交流は出来ませんでした。しかし、私たち聖和学園で準備していった仙台伝統の「すずめ踊り」を通して日中間がわずかですが、ひとつになれた気がしました。
今回の訪中では、私が事前に調べていった以外に実際に行ってみて知ることができたことも多くありました。その中で最も印象に残ったのは、エコ事業にも取り組んでいるということでした。日本から見て中国は経済成長を優先し、環境問題は後回しになっているように伝えられていますが、実際のところそうではないことを知りました。
今回の訪中が、意味のないものにならないようにするためにも訪中団である私たちをはじめとする一人一人が、お互いの国をよく理解し合い、今後より多くの交流機会を設け日中の壁をなくすことが、将来のためにも重要なことだと今回の訪中を通して私は思いました。関係者の方々、大変お世話になりました。
(宮城県2年男子)
「やっぱり日本は最高だね。」 帰国後から訪中のメンバーと連発しているこの一言。今回の訪中を経て、中国に関して見て学ぶほかに日本の環境のよさも同時に分かった。
しかし、なぜこのタイミングでの訪中だったのか…。私は不安よりも悔しさでいっぱいだった。訪中の中止が危ぶまれた期間の長さ、直前のコース変更や毎日テレビや新聞で報道されている中国関連のニュース。どれもこれも余計に私の不安と悔しさを募らせた。本当に大丈夫なのだろうか、訪中の本当の目的が果たせるのだろうか、無事帰国できるのだろうか…。日中間の問題は解決することなく、緊迫した状況の中、出発当日を迎えてしまった。いつまでも不安なままでいては、せっかくの機会が台無しになってしまうと思い、気持ちを切り替えることにした。よくよく考えてみれば、私たち未来を担う高校生はこの状況だからこそ行く意味があるのではないだろうか。そう思うとだんだんと期待でいっぱいになってきた。私にとっては初めての海外、そして初めての飛行機。北京空港に到着したときの感動と、日本とは違う素晴らしい光景は今でも鮮明に残っている。
2日目からの活動で一番感じたのは言葉の壁、そして文化の違いであった。他国語で自分の意思を率直に伝えるということがどれだけ難しいことかを痛感した。同じ高校生との交流では、思うように英語でのコミュニケーションがとれないもどかしさでいっぱいだった。ホテルでも不備があっても自分たちで伝えることができずに終わってしまった。しかしうまく伝えることができなくても、中国の方々は嫌な顔ひとつせず必死に理解しようとしてくれていた。お互いに伝え合い分かり合おうとすることが、どれだけ重要なことかが分かった気がする。そして、自分自身の知識の薄さも分かり、今後の目標もできた。
中国という国の文化を知ることによって、自分の世界感を広げられたと同時に、実際目で見た中国が自分のイメージしていた中国とは違っていたことから、偏見や先入観を払拭することができたと思う。「百聞は一見に如かず」という言葉があるように、聞くよりも見たり経験したりすることのほうが先入観や価値観を大きく変えられる。また幅広い知識や情報、見解も一気に得られるのではないだろうか。今回は大きな目的であった中国人との交流はできなかったが、中国の現状をじっくり知ることができ、なにより良い機会となったことには間違いない。これからの日中関係がどのようになってゆくのか、そして、これからの自分にいったい何ができるのだろうか…自分の心の中で意見をとどめるのではなく、様々な人と語り合って行けたらいいと思う。
そして今回支えてくださった日中友好会館のみなさんをはじめとする多くの皆様には心より感謝申し上げます。最高の訪中になりました。
(宮城県1年女子)
去年学校で中国語を勉強していたことと、国際感覚というものを学びたい思いから参加した今回の訪中でしたが、私自身の進路や成長に大きなきっかけを今後与えてくれるような、とても価値のある経験ができました。
北京は都会でありながら、まったく圧迫感がありません。日本のそれとは違って広々とした余裕があり、高くそびえ立つビルからは、現在の中国の勢いが伝わってくるようでした。特に興味を惹かれたのは交通で、道路での人と乗り物のひしめき合いには驚くほかありませんでした。誰もが自らの意思で道路を横切り、そして走り、国柄がよく現れているなと強い印象を受けました。
私は語学がとても好きなので、現地では自然と耳に入ってくる、様々な人の話す中国語を聞くことが一番の楽しみでした。中国人は言葉の性質上から本当に声が大きく、うるさくて耳障りに以前は聞こえていました。それが聞き慣れて親しみを持つように変わってくると、いつの間にか心地よく感じてくるのです。不思議な感覚で感動しました。中国語とは形容するならピアノの音色のようである、と以前何かの本で読みましたが、この時やっと共感できました。
今回の訪中で、雀踊りの紹介を中国語で披露するという大役を私は任されていました。本番までの短い間に、現地の人や通訳の方の話す中国語から、わずかでも何かコツをつかめないかと、耳をすまして聞いていたということもありました。訪中前の追い込みでの練習と、そんな努力の甲斐あってか(?)、本番では噛まずに話すことができました。
中国は歴史を重んじている国ですが、私は歴史が苦手で訪中にも充分な知識がないままに参加していたのが正直なところです。ですが、世界文化遺産の見学や交流会、歓送迎会を通して、少しでも中国という国と向かい合うことができたのではないかと思っています。さらに引率の先生方の開いてくださった授業が、私の意識を大きく変えてくれました。もっと私なりの考えで、日中関係を見つめてみたい、その背景を詳しく理解したい、そのためにはこれからも勉強が必要です。何より、中国を好きになれたことが私にとって本当にうれしいことです。無関心という無知から脱して、変えていける自分の小さな成長の機会を、逃さず活かしていきたいと思います。
(宮城県3年女子)
私がこの訪中団へ参加しようと思ったのは、日本と中国という異文化との交流のなかで、いろいろなことを体験し、自らの見聞を広げていくとともに、中国のことを学び、日本と中国の関係について考えていきたいと思ったからです。
私は、デモなどもあり、中国は日本に対して敵対心があるのではないかと不安に思っていました。しかし、実際に中国に行き、現地の高校生たちと交流をしてみると私の思っていた不安は消え去りました。中国の高校生たちは、日本の漫画や、アニメにとても関心があり、また私たちに対して、とても社交的だったからです。日本の漫画やアニメは海外で評価されている、というのは知っていましたが、実際に海外に行くことにより自分自身でそのことを確かめることができました。
この訪中で私は、メディアを通して知っていた事実でも実際に確認することがとても大切なものだと感じました。私たち高校生の主な情報源は、テレビや新聞、インターネットなどのメディアですが、メディアだけでは、情報に偏りができてしまい、正しく理解することができなくなってしまいます。そこで、今回のように実際に現地に赴き、自分の知っていた情報と、実情を照らし合わせることで、本当の意味で情報を正しく理解することができると思います。そうやって情報と実情を比較していくことが異文化を理解することにつながり、そして、それはいずれ国際理解へとつながると私は思います。
今、世界はインターネットの普及にともない、グローバル化が進んでいます。これからの社会を担う私たち高校生には、国際理解をすることが重要です。そのような中で訪中することができた私たちはとても幸運だったと思います。新しく得た知識、初めて触れた考え方、日本との違いや、共通点、これら訪中を通して学んだことを深く胸に刻みこれからの社会を考えていく基礎としていきたいです。
(茨城県2年男子)
生まれて初めて見た中国は、橙色に染まった空と地平線も定まらないほどの広い黒でした。その黒の中に,1週間に及ぶ中国での生活への不安がありました。でも、また同じくらいに期待が大きく広がっていて降下する飛行機を少し恐ろしく感じました。中国に着き、キイキイうるさいスーツケースを押して外の冷たい空気にふれた時には、もうすっきりそんな気は晴れてしまっていました。
2日目は、中学校訪問や文化体験に歓迎会など、主に交流が中心のスケジュールでした。私は、英語はそれほど得意ではありませんが、交流は得意なのでとても楽しみでした。しかし中国では、理解しきれないことも多く困った点もありましたが、そんな私に中国のみなさんは、英語ではなく、たどたどしい日本語を使ってくれました。彼らは、私を、私の国ごと認めてくれていると感じ、私もまたそうありたいと思いました。そこで出会えた人々を、私はきっと忘れません。
3日目は、世界遺産の故宮に行きました。霧でかすんだ中国の空気の中に603年間の長い時を越えた宮廷は、美しくどこか神秘的で私はもう一度ゆっくりと見てまわりたいと思いました。その後はバスで唐山に向かい、4日目も飛ぶように過ぎて5日目、唐山の大地震について初めて知りました。石碑の大きさや多さにその悲惨さを痛いほど知った後、私たちは天津へ移動しました。天津では、中国の発展への意欲を知ることが出来ました。そんな未来を描いている天津の人々を尊敬したと同時に、私たちも頑張らなければと思うことができました。
6日目の夜は盛大な送別会を催してもらい、私たちの中国訪問は終わりました。私はこの体験から学んだことが1つあります。それは、私たちは自覚を持たなければならないということです。外国の地では自分の振る舞いがその国としてみられること、社会も国を挟めば個人個人が国として見られることを。国々のステレオタイプ(この国はこういう国だという固定観念)に怒る前に,自分でそれを変える努力をしなければならないのでしょう。ジョークを解すること、相手を理解しようとすること、自分が何者か知ろうとし続けること。そして、自分自身を伝えようとすること。私たちは一人一人が国と見なされ、それに見合う態度が必要とされているのでしょう。もちろん、それは簡単ではない。しかし、隣の国も遠い国ですら同じなのだと思いました。人と人とのめぐり会いが一つ一つ大切になっている世の中で、今回の訪中団に加わることが出来たことを心から嬉しく思います。この経験を高校を出てから生かせる日が来ることを望みます。
(茨城県3年女子)
今回中国を訪れた2010年10月19日~25日までのこの時間・中国の皆さんがおられるこの国・そして皆さんと私達、この3つがぴたっと合わさって実現した不思議な出会いを、とてもうれしく思っています。
中国の空港で「有朋自遠方来不亦楽乎」の垂れ幕に出迎えられた瞬間、初めてなのになつかしい国にきたような感じがしました。出会う事はできませんでしたがこの言葉によって遠い昔の聖人の心に今でも会うことができたからです。
北京では世界に名高いシンボル天安門広場、世界遺産の故宮博物館や天壇公園などを見学し、中国の深い歴史をあらためて学びました。また伝統の京劇の美しさには強烈に魅了され、帰国してからもその余韻がずっと続いていました。
唐山や天津の工業開発区の将来の計画と展望をお話しいただき、これからも益々発展していく中国を感じました。また一方では都市の緑化に配慮して、緑化100%になるようにと環境にも重点をおいて都市づくりを建設されているところなどは、とてもすばらしいと思いました。
学校交流では、伝統楽器の演奏や民族舞踊などを披露していただいた事で、広大な中国には沢山の民族の人々がいることもわかりました。また、高校生の人達のすばらしい英語力に圧倒され、私ももっと頑張らなければと思いました。
今年、日本の古都奈良では遷都1300年を迎えています。当時の遣唐使たちは航海の技術が未熟だったにもかかわらず、命がけで中国に渡り友好を保ち、すぐれた制度や文化を持ち帰り、日本の発展に尽力しました。その後、日本から中国にも技術等を提供してきました。両国が交流を深め、尊重し理解しあえる関係を築き、平和にずっと友好を深めていけるよう、努力していきたいと今回の訪中で直に自分の目で見て肌で感じて、そのことを強く思いました。
本当によい経験をさせていただいて、ありがとうございました。
(滋賀県2年女子)
私は今回の訪中で、特に深く印象に残ったことは2つあります。
1つめは、中国のめざましい経済発展です。ニュースで何度も耳にしていたものを、実際にこの目で確かめ、中国の力の大きさについて改めて知ることができてとても満足しています。なぜなら、これを知ることは私が訪中する理由の大きな一つだったからです。目に映るものすべてが新鮮でした。人口が多いせいか道路はとても広く、私の地域でみることのできない景色があふれていました。また、いくつかの博物館で大きなジオラマをみて、建物の大きさと多さや、建設予定地の規模の大きさなど、とにかく驚かされてばかりでした。中でも一番驚いたことは、「世界で一番」や「アジアで一番」などといった「一番」がつく建物がたくさんあったことです。今、世界で中国が注目されている原因はここにあるのだろうと思いました。
2つめは、中国の高校生と私の違いです。日本の大学入試もとても難しいにもかかわらず大学入試をうける緊張感も自覚もないといっても過言でない私の現状をみて、彼らはどう思うのか考えるととても恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。中国の学生の姿をみていると、勉強も運動も中途半端な私に喝をいれられたような気がしました。そして、生まれたときは同じスタート地点にたっていたはずの私たちには、既に大きな差があるように思います。もっと同等に競い合える社会をつくっていきたい、こんなに小さな私がここまで大きなことを思えるほどの強い印象を彼らは与えてくれました。
中国の学生と交流する時間は決して充分にあったとはいえませんが、そんな中でも積極的に会話を交わすことができてよかったです。また、違う高校の生徒の皆さんともお友達になれてとても嬉しかったです。こんなに貴重な体験ができたのも、全員無事に安全に帰国できたのもすべて皆さんのおかげです。この事業に関わった多くの方々、本当にありがとうございました。
(滋賀県1年女子)
正直に言うと、最初は「中国に行ける!」という気持ちだけが一人走りしていました。私は今までに中国はおろか、海外にも行ったことが無く、一度は海外に行ってみたいと強く思っていました。そんな気持ちで訪中団に参加することを決めた訳ですが、時間が経ち、考えを整理していくと「そういえば、隣の国なのに中国のことって何も知らないよなぁ」と思い始めました。この気持ちを持った瞬間が、私の中での本当の意味での訪中の始まりだったのかもしれません。
しかし、日中関係が悪化し、楽しみにしていたイベントが次々中止になってしまいました。それは確かにショックでしたが、それも含めて今の中国を見てきてやろう、とさらに訪中への思いが強まりました。
中国での7日間はあっという間でした。中国の歴史的にも文化的にも価値のある建造物を見学し、これからの経済を支える唐山市と天津市の工業の発展を見学し、そして何より中国の高校生を始め、中国に住む様々な人と交流を持つことができました。これは私の人生の中でもなにものにも代え難いとても大きい経験になりました。
最初に書いたとおり、私は中国にあまり強い思い入れはありませんでした。そして、様々なことがあり、訪中への思いがだんだん強くなっていきました。その強い思いを持って中国の人と交流し、学べるものを出来るだけ多く吸収するように努力しました。しかし、7日間が過ぎ、飛行機に乗って日本に帰って改めて気持ちを整理し直してみると、自分の中で何かを得れたり、何かが変わった、という感触はありませんでした。向こうの人と握手した記憶はしっかりありましたし、説明してくださった内容もメモと共に残っています。それなのに、自分の中で何かが残った気がしません。そこで私は気付きました。今回の訪中はあくまで「きっかけ」に過ぎないのだと。私は今、何かを得る「きっかけ」を、何かが変わる「きっかけ」を得ました。この折角得ることの出来た「きっかけ」を無駄にしないように、今まで以上に意識を高めて生活をして、そして何かを得て、変わることの出来た視点でもう一度中国を見てみたいと思っています。
(滋賀県2年男子)
・Bコース(新潟・岩手・千葉・東京・大阪 高校生)【長春-大連コース】
私が中国を訪問して一番感じたことは、日本と中国の文化がどれだけ似ているかということです。
たとえば中国では、日本と同じ漢字を使っています。省略されていることや、同じ字でも日本語と意味が違うこともありますが、読めばだいたいの意味を推測することができます。日本の文化のルーツを知ることができたように思いました。
また、北京の実験中学でスポーツで交流をしたときには、ひとりの生徒の方と仲良くなることができました。バドミントンをしていた彼女に私が、一緒にやりたいと話しかけたところ、彼女は嬉しそうに私にラケットを貸してくれました。しばらく遊んでいたのですが、面白く空振りをしたり、彼女の頬がすごくやわらかいんだよと彼女の友達に言われて触ってみたりと、二人でずっと笑い合っていることができました。言葉が通じず、英語でも上手く思っていることが伝えられない状態にもかかわらず、同じことをして、同じことで笑い合うことができたのです。私は深く感動しました。彼女から住所を教えてもらったので、今手紙を書いています。もっと仲良くなって、これからも彼女と良い関係を続けていけたらと思っています。
しかし、文化の違いを感じることも多くありました。ときには、その違いに少し違和感を持ってしまうこともあります。たとえばレストランでバイキング形式の料理をいただくとき、私達は皆順番に並んで料理を取っていたのですが、料理は一か所にしかないので全員が料理を取り終わるのに時間がかかってしまったということがありました。あとで中国の方にお聞きしたところ、中国では並んだりせずに、自分の食べたい料理のところに行くので問題ないのだそうです。私は最初そのことに違和感を持っていたのですが、「日本に来た中国人も、レストランで最初に冷たい水を出されると失礼に感じる」という話を中国の方からお聞きし、なるほどと思いました。
文化の違いをなぜ感じるかというと、それは互いの文化があまりに似ているからなのだと思います。だからこそ、わずかな違いを感じてしまうのです。それを理解できないと突き放し、憤りを感じているのでは、いつまでも前に進むことはできません。大切なことは、違うことを認め、理解し合おうと努力することなのだと思いました。そうやって、私たち一人一人が心の距離を縮めていくことが、未来の平和な世界につながっていくのだと信じています。 (新潟県1年女子)
私には、中国訪問の機会をいただいた時、二つの期待がありました。一つ目は、人生で初めての海外へ行く体験を通して、身近な情報源からは得られないものを得ること。二つ目は、今まで関わることのなかった人々との交流を通じて、多くの人と出会うことです。
はじめ、今回の訪中に参加しようと決意した時は、期待以上に、日増しに大きくなる不安ばかりが気になっていました。自分は中国へ行って何ができるのか。団員とうまくやっていけるのか。様々な不安がありました。
しかし、1週間を終えた時には、そんな不安は欠片も残りませんでした。団員、付き添いの先生方、現地ガイドの方々、他にも多くの人々に恵まれた私は、とても充実した一週間を送ることができました。訪中の間は中国の文化遺産、博物館の参観や、京劇鑑賞などを通じて、中国の歴史、文化に触れることができました。また、学校訪問や、現地の学生達との交流を通じて、現在の中国の発展を支えるものを、少しだけ感じ取ることができました。この一週間で私が見て、聞いて、感じたものは、書ききることができません。
今回の訪中は非常にハードな日程に加え、予想外の事態による直前の日程変更なども重なり、非常に過酷なものとなりました。しかし、そんな中でも私は、成し遂げたことが一つあります。それは、国内外を問わず、多くの人々と出会えたことです。連絡先を交換した中国の学生の方とは、今でも連絡を取っています。
正直なところ、私は自分が今回の訪中でどれ程のものを得て、どれほど成長できたのかが分かりません。そしてそれがいつになって分かるのかも分かりません。しかし、今回私が得た「出会い」は、今後の私にとって、かけがえのない貴重な海外体験となり、私を大きく成長させてくれるものになったと感じています。
(新潟県3年男子)
この度の訪中では、中国の文化、力に触れ、とても充実した時間を過ごすことができました。ただの観光では経験することのできない経験でした。
故宮や長春の公園の見学は印象深かったですが、特に印象深いのが現地学生との交流です。私は北京の学校で英語の授業を見学しました。授業はすべて英語で行われていました。授業中に学生同士で話す時まで英語という徹底ぶりです。それだけでも十分すごいと思ったのですが、何よりすごいと思ったのは、生徒が次々にすすんで手を挙げる点です。もちろん、挙げた全員が正答を答えられるわけではありません。しかし、「間違っても良いから答える」という精神が深く根付き、実践されていることには感銘を受けました。強い向上心があればこそできることだと思います。
また、長春の外国語学校の学生の約8割が日本の大学に進学する、という話にも驚きました。中には、慶応大学などの名門校を受験する人もいるそうです。これもまた、向上心とそれ相応の努力のなせることだと思います。彼らを見ていると、目標への努力をおろそかにしている自分の弱さを気づかされます。そして、自分も頑張らなければならないという気持ちが湧いてくるようでした。私のコミュニケーション能力の向上は少し感じる程度でしたが、今回の研修のおかげで、自らを見つめなおすことができました。
中国のこれからを担う学生達は向上心に満ちていました。そして、この向上心こそが中国の目覚しい発展の源なのだと私は思います。中国はまだまだ発展の途中にあります。このまま発展し続ければ、いずれは世界のトップになるはずです。日本と中国両国のために、日中間の友好がさらにすすんでいくことを願います。
(新潟県2年女子)
私は今回日中友好団として現地の学生や同じくして日中友好団に選ばれた他県の高校生と交流する事を目標に行って参りました。何かと不安はありましたが、代表だという意識を持ち、一緒に行く人とも仲良くなろうと頑張ってから中国に向けて出発しました。
夜、北京につき、中国最初の食事をとりました。中国の文化として、料理は食べきれないほどの量が出るのですが、残してもいいそうです。味はとても薄口で日本人とは味覚がちょっと違うんだと思いましたが、慣れてくると空腹だった自分にはとてもおいしく感じられました。
北京一日目、この日は学校交流ということで北京市海淀実験中学校を訪問し、部活動の交流や体育交流をしました。体育交流では太極拳を習い、みんな一生懸命やっていました。
北京二日目は世界遺産の故宮を訪れました。とても広大で中央には毛沢東の絵が飾られていて、それほどすごかった人なんだと思いました。見学を終えた後、その日のうちに長春へ飛行機で移動しました。
長春では反日デモの関係もあり、自由行動はなく厳重な警備のもと、バスの中から観光したり、博物館を見学したりしました。食事は最初だけでどんどん食べられなくなっていました。長春で二日間過ごしてから大連という場所まで夜行列車で移動しました。
大連という町は六人に一人が日本人だったという場所で歴史的にも日本と大きく関わっている町です。ここではアニメの製造をしている所と鉄道の製造をしている所を見学したのですが、日本にはない技術があり、そういう物を見聞きできた事はとても自分にとってプラスになりました。この後大連から北京、北京から成田という順番に日本へ帰国しました。
私は今回の中国での一週間で、異文化に触れたり他県や中国の中学生と話したりして物事の価値観が変わっていた事に気付きました。日本にいた時は反日デモなどが主なニュース内容であり、あまりいい印象がありませんでした。でも実際行ってきて思った事は、とても愛国心があり、日本人に親切な人もいるという事です。そして日本語を専攻している学生の語学力にとても驚き、その語学力のおかげでとても助かりました。
中国現地を訪れ、日本しか見た事がなかった自分にはとても衝撃的で心に残るものが数多くありました。経済成長のおかげで都市部は日本よりも高い建物が並び、町はライトアップされてとても活気溢れるいい町であると思いました。衛生面での環境が整えられてくればもっといい国になると思います。今回の中国での一週間は、自分を成長させていただき、知識も友達も増えました。今回の経験は私の人生の一生の宝物です。
(岩手県3年男子)
今回この交流事業に参加させていただいて強く感じたことは、中国の学生の持つエネルギーの強さです。長春市外国語中学校を訪問した際に披露していただいた、数々の出し物に驚嘆しました。歌に踊り、伝統楽器の演奏などとても見ごたえがありました。その後たった十分間というとても短い時間でしたが、中国側の熱気に飲まれてしまうほど、一人一人の持つエネルギーがとても熱いのだと感じました。
とくに印象に残っているのは、長春を三日間案内してくださったボランティアの大学生たちです。たまたまそのうちの一人がバス内で私の隣の席に座ったのをきっかけに、いろいろとお話をしました。その学生さんは日本語を三年ほど学んでいたのですが、とても流暢に話していたのでびっくりしました。そして韓国語も学んでいるというので、もっと驚きました。また、とても勉強熱心で、今まで学んだ日本語で簡潔に要点をまとめたノートまで作っておりました。ノートには日本人が当たり前のように使っている「そして」や「まず」などの接続詞の意味をきれいにまとめていました。
会話をしている最中に「人に流される」と言ったら、「人に流される?それはどういうことですか?」とすかさず質問をしてきました。私はしどろもどろになりながら説明したり、電子辞書を引き、見せたりしました。わからないところを見つけたらすぐに質問をしてきました。そしてすぐにノートに写していました。
他にも学校生活や授業について話をしました。日本語を学ぶときに、まず始めは語句・文法・文型から学んでいくそうです。そして三年生になったら日本の小説を学ぶそうです。夏目漱石や芥川龍之介を学ぶそうです。また授業も全部日本語で行うので、最初は全員先生の言っていることがわかりません。そこで先生はゼスチャーをしながら授業をするそうです。また先生になるには大学院を出ていなければならなかったり、大学生は全員寮生活であったりとたくさんいろんなことをお話してくれました。
ボランティアの学生達との交流を通して感じたことは、自分は一応日本人ではあるが、本当に日本についてきちんと知っているかということです。外国人からすれば、日本人なら日本のことはなんでも知っていると思っているので、慣用句の意味や同じ意味を指しているのに何種類もの表現のある言葉の使い方を聞かれると、正直な話、冷や汗が出ました。このように外国から見られているのだと思いました。改めて聞かれると本来の意味がわからなかったり、使い分けがあやふやだったりするのが多いように感じます。「外国のことを知るより、まず自国のことを知れ」とはよく言われますが、本当にその通りだと実感しました。聞かれて慌てふためいている自分自身がみっともなかったです。日本のことをもっと知ることで、外国人に日本の習慣や文化を少しでもわかりやすく、詳しく説明できるようにしていこうと思いました。そして中国とは良き隣人として、互いの風習、文化の違い等を理解しあいながら付き合って行けるようにしたいです。
最後にこの事業に関わった人全員に感謝の意を表したいと思います。本当に有り難うございました。
(岩手県2年女子)
私は、今回の訪中で改めて世界の広さを実感しました。
故宮や天安門広場、京劇、貧富の差の激しさも、以前から知っていました。しかし、実際に自分の目で見て、「知っていること」と「体験すること」はこんなにも違うのかと驚きました。訪中は無知であった私にとって衝撃的なものでした。
学校交流では、同年代との交流ができ新鮮でした。意思の疎通は難しかったのですが、身振り手振りで少しでもコミュニケーションをとれるように努力しました。そして感じたのは、やはり笑顔は世界共通だということです。互いに笑って交流できた時は、国境が消えたように感じました。
伝統文化は、京劇や踊りを見たり、故宮や博物館に行くことで体験することができました。京劇は驚きのあまりすごいの一言しか出ず、故宮の壮麗さは言葉で言い表すことができない程でした。全て、隣国であることを感じさせないようなものでした。
また、バスからおりるとやってくる物売りや物乞いの人達に驚き悲しくなりました。「かわいそう」ではなく、ただひたすら「悲しい」という感情がこみ上げてきました。
現在日中間で様々な問題が起こっていますが、訪中するまでは無関心でどこか他人事のように思っていました。しかし、帰国してからニュースなどで中国についての報道にとても敏感になりました。訪中で交流した人々の顔が思い浮かんで、彼らに日本は嫌だなどと感じてほしくないと思うのです。とても小さな事だとは思いますが、このような気持ちになる人が増えることが、日中の関係を良好にしていくのではないかと思います。最初は、国が企画するほど高校生の交流が重要なものなのだろうかと不思議に思っていましたが、それがこの答えなのだと思います。将来それぞれの国を背負っていく若い世代同士の交流の重要性を感じました。
今回の訪中で、私の中国への印象は良い方向に大きく変わりました。この経験を、より多くの人に伝え、共有していきたいです。
私は約一週間、中国に行きました。その一週間の中の五日目に長春の高校生と交流をしました。この交流は、一緒に運動をしながら会話をしてコミュニケーションをとる目的の交流でした。運動の選択肢は卓球とバレーの二つで、私は卓球を選択しました。
ホテルから四十分程で交流する高校へ着き、歓迎式を受けました。その式では、中国の学生方がダンスやマジックなどを披露してくれました。
その式が終わった後は各種目に分かれ、活動場所に移動しました。卓球台は八台程あったのですが、何十人という人数だったので順番が回ってこなくて、友達と三人、壁側で見学していました。そこに四人の中国の学生方が英語で話し掛けてきました。私達は必死にその話しかける言葉に答えようとしました。中国の学生方はとても英語が上手で、話を聞くと、母国語の他に日本語・英語・韓国語などの様々な外国語を授業でやると言っていました。途中、「好きなスポーツは何ですか?」ときかれたので、私は「バスケットボールが好きです」と答えました。その時私達の周りはいつの間にか学生でいっぱいでした。私が答えると、英語で「上に体育館があるから一緒にやろう!!」と言って私達を体育館へ連れていってくれて、一緒にバスケットを楽しみました。
私はその時、あまりにも英語ができなさすぎて悔やみました。中国の学生方は私達よりも多く外国語を勉強していて、とても上手に話せます。それに比べ、英語のみを学習している私達は全く話すことが出来なくて、自分の実力のなさを痛感しました。
この先外国に行くことがあるかわかりませんが、どこの国でも通じる言語はやはり英語です。私は再び同じ過ちを繰り返さないためにも、今後は英語に力を入れて学習していきたいと思っています。私にとって一週間の日中交流は、言語能力のなさを痛感できた良い機会となりました。
(千葉県1年女子)
国内では中国との関係が悪化しているような報道や新聞を目にしていて、行くまではとても心配だった。とある場所では日本に対するデモが起きている・・・そんな報道を耳にして、日本人に対して良いイメージを持っていないのではないかと、僕の中ではメディアを通した勝手なイメージが出来上がっていた。
実際中国に行き、北京や長春の学生と触れ合った時にまず思ったのは、とにかく心から歓迎をしてくれているということ。学校の案内や説明は英語での説明だったけれども、とても分かりやすく説明してくれたので、こちらからも質問をしたり、初めて外国人の同級生とコミュニケーションがとれてとても嬉しくて凄く感動した。直接に日本をどう思っているかとは聞けなかったけれど、彼らと一緒にスポーツをしたり写真を撮ったりしているうちに、きっと日本のことを凄く好意的に思ってくれているなと僕は感じた。
特に長春の学校では、日本語を話せる生徒がたくさんいてとても驚いた。日本の映画やドラマ、音楽や観光地など僕より詳しいのではないかと思うくらい色々な事が話せて、とても楽しい時間を送れたとともに、僕の高校では英語を勉強しているが一体、外国語を話せる人がどれほどいるだろうかと思った。中国を訪問して一番僕が驚いたのは、ほとんどの高校生が英語を話せること、更に日本語が話せる人までいるということ。そこに日本の高校生とかなり差があることに驚いた。
今、日本人の若者が日本から出たがらなくて国内のみで生活をする、そんな事が巷で騒がれている。それは言語に対して意欲が無いからではないかと中国を訪問してつくづく思った。日本語を勉強している中国のある学生が、いつか必ず日本に行きたいととても熱く僕に話していた。その人と話して、僕自身も色々な言葉が話せたらもっと視野が広がってもっと楽しい人生を送れると思った。
中国を訪れて同年代の人と話すことによって、今僕が見ている世界がどれほど小さいかを実感した。一生懸命に日本語を勉強して少しでも世界を知りたいというその中国の学生から、メディアや噂で聞いた情報に振り回されるようなことではなく、自分から色々な事に挑戦して色々な事を学び、考え、実際にその地で触れ合うということが何より大切で繋がりあえるかを知った。本当に行けてよかったし、中国語を学んで、必ず、また行こうと思う。(千葉県2年男子)
中国に行けることが決まった時、私は海外に行くというだけで胸が躍った。昔から広い場所に飛び出すことが好きで、高校生のうちに世界を見たいという夢がひとつ叶ったからであった。まだ会ったことのない人々と話をして笑いあう暖かな夢を描き、実現したいと胸を膨らませた。そんな時目の前に現れたのが中国の南の地区で起こった「反日デモ」だった。
大きな不安が残るまま中国に渡った私を待っていたのは、予想以上に深い中国の人々の優しさだった。常に笑顔を絶やさず、私の下手な中国語にも英語にも必死で耳を傾けてくれる姿勢。日本に敵意を向ける人がいる一方で、国籍を気にせず親身になって世話をしてくれる人々がいる。人は国籍で決まるのではないと此処へ来て肌で感じることができた。当たり前のことであるのに、私も同じように国籍で性格を形成したわけではないのに。
最も印象的だった言葉は北京から大連までずっと一緒に来てくださった、キョウさんの最後の言葉だ。「日本に帰ったら中国の良いところも悪いところも全て話してください」と。なんて広い心を持っているのだろうと感動し、不覚にも涙を落としそうになってしまった。
また、中国の学校訪問で私が連絡先を渡した時に「これを使えば貴方に会うことができますか?」と尋ねられた時、私はこんな数時間しか一緒にいられなかった私と離れても繋がろうとしてくれる気持ちがただただ嬉しかった。帰り際に熱いハグをしてしまったほどである。
外国に来て、その国の文化を受け身の姿勢で受け取り、持ち帰るだけでは本当の交流にはならない。自分の文化との違いを自分の目で見極め、それを生の声として伝えることが日本にいる高校生と、中国の高校生、お世話になったたくさんの方々を繋げられるということになるのだと思う。その機会は見渡したところ転がっているようには見えない。しかし私は私でこの経験を私だけのものにするつもりはない。
真の国際交流とは国の政治や経済に関わらず、人と人が繋いだ掌の上に創られるものだと思う。今回の日中間交流は私の視野を大きく広げてくれただけでなく、私が将来世界と関わっていく土台を完成するとても良い機会になった。世界は広く、私ができることは微々たるものだが、中国で繋げた掌を離さないよう、大切にしていきたいと思う。(東京都2年女子)
私はこの訪中を通して、様々なことを学んだ気がします。
たとえば、文化の交流。 日本は、中国から文化が移入してきた長い歴史があります。漢字一つ取ったとしても、中国から伝わってきた漢字が数多くあります。その日本ととても共通点が多く、しかし違う文化を今回の機会でとても学んだ気がしています。北京市内の街と東京の街を比べても、似て非なる部分がとても面白かったように感じました。 中国語は漢字で形成されているので、漢字を読んでイメージをするとだいたい意味がわかり、大きく助けられました。ただ、口語になると全くわからなくなり、私の勉強不足も含め辛かった思い出もあります。 食文化は、日本と共通する部分より中国独自の部分が多かった気がします。 北京では四川料理や北京料理、長春では(中国の)東北料理を食べ、四川料理の有名な「麻婆豆腐」を取ったとしても、日本で食べる麻婆豆腐とはひと味もふた味も違い、とても辛かったのが印象に残っています。
そして、人と人との交流。 北京では潞河中学の学生と、長春の第十一中学では現地の学生と卓球を楽しんだり、中国の方と少ない時間ながら私なりに楽しめた気がします。なかでも、私たちのガイドの代わりとしてついてくださった長春のボランティアの方と会話するようになり、私が帰国したあとでも、パソコンを使い会話で交流をしています。 また、この訪中に参加した私たち同士も、このような機会を通じてお互い違う高校でも、知り合えて仲を深められた気がします。
訪中の予定にあった場所や交流が、なくなったり、変更されたりしたことはとても残念に思いましたが、私たちは日本と中国、両国の友好のために中国へ訪問しました。中国に行っただけで終わりではなく、この6日間で学び、そして感じたこの出来事を、得たことを、できる限りの人に伝えていければなと思っています。
私は今後高校生活は残り少ない時間となってしまいましたが、この訪中で得た経験を今後の人生に生かせていければなと思います。
(東京都3年男子)
私は10月19日~25日まで、日本高校生訪中代表団第2陣生として中国に行きました。
中国に出発するまでは、期待と不安が混ざった気持ちでいました。初めての場所で新しいことを学ぶということはとても楽しみなことでしたが、その反面、日本を離れてしっかりとやっていけるかが不安でした。しかし、中国の人達は思っていた以上に温かかったです。言葉の壁は少し感じたけれど、相手側も私の言いたいことを理解しようと耳を傾け、心身になって接してもらえた事がとても嬉しかったです。
一番印象に残っていることは、中国の学校との交流です。交流は北京と長春で行われました。北京の学校では中国のダンスを教わりました。長春の学校では中国の生徒と一緒にスポーツの体験をしました。そしてそこでは友達もできました。その友達は日本語がとても上手な17歳の女の子で、日本と中国の話しをして盛り上がりました。中国のことをたくさん知り、楽しく話すこともできて、あっという間に時間が過ぎました。日本に帰ってきた今もその友達とメールの交換をすることができて、とても嬉しいです。これからもずっと交流を続けて、いつかまた会いたいと思っています。
その他に感じたことは、中国の学校がとても広かったことです。学校の敷地内に大きな池があったり、寮があったり、体育館とは別にバスケットコートとサッカーコートとテニスコートがあったりもしました。それに、中国の学校の授業は朝の8時前から始まり、1日10時間もあると聞きました。私は、日本の学生と中国の学生の勉学に対する意識や取り組みの違いにすごく驚きました。そして、私たちももう少し勉強を頑張らなければならないと思いました。
また、中国政府の方々も、私たちが安全に過ごせるように厳戒態勢で警備してくださいました。そのおかげで、私たちは安心して過ごすことができたと思います。
今回このような良い機会をいただき、貴重な体験が出来たことを無駄にしないよう、将来に役立てたいです。
(大阪府1年女子)
今回、日本高校生訪中代表団に参加して、人生で初めて中国に訪れました。
中国に着いて、はじめに訪れた北京で一番印象に残っているのは、中学校訪問です。初めて会うたどたどしい英語を話す日本人に、親切に話してくれる中国の高校生はすごく印象に残っています。すごく短い時間であったけれども、すごく仲良くなれました。
北京で他に驚いたことは、中国のすさまじい経済発展の様子でした。つい最近までほとんどの人が自転車を使っていると聞いていたのですが、超高層ビルが立ち並ぶ北京の道路は今や世界一の渋滞を毎日のように引き起こすようです。
長春訪問中、僕たちが乗っているバスを護衛するために、道路を封鎖し、中国公安局の車が周りを走っていることを聞き、中国政府の対応に驚きを感じると共に、日本が中国に対してとってきた過去の行動を考え直さなければならないなと痛感させられました。
長春では、日本語の勉強をしている大学生や高校生と話す機会が多々あり、彼らが日本に興味を持ってくれているということにすごく感動しました。
そして、最後に訪れた大連でも日本語の勉強をしている大学生といろいろなことを話しました。日本の歌や大阪弁を教えてあげたり、中国での学校の様子を聞いたり、大変楽しい時間を過ごせました。
正直なところ、出発の直前まで中国での反日デモの様子がメディアによって報道されていたので、中国の人々についてあまりいいイメージや感情を持っておらず、むしろ彼らのことを怖がっていたところもありました。しかし、今回中国を訪れて、人との出会いの素晴らしさをしり、中国にすごく興味がわきました。この先日本は、中国と経済的にも政治的にも親密な関係を取っていく必要があると思います。僕がその架け橋となれるように、この経験を生かしていきたいです。
(大阪府2年男子)
・Cコース(ポップカルチャー・文化)【北京-銀川コース】
自分の目で見ることの重要性
ほぼ毎日と言っていいほどテレビや新聞で報道されている中国という国と、毎日のように接する中国人留学生から受ける印象との違いに違和感を覚えたことがこの訪中代表団に応募するに至ったきっかけです。中国に行ったことのない私はメディアからの情報のみでしかこの国のイメージを描くことができず、“中国なんて”という考えを多かれ少なかれ抱いていました。しかし、これまで関わりのあった中国の友人たちは皆とても親切で、文化や育った環境の違いはあるものの、周囲の日本人の友人と何も変わりのない印象があり、「中国って本当にテレビで報道されている通りの国なのかな?」、そう思わずにはいられませんでした。
出発の日が近づくにつれて、見たことのない国を早く見たいという気持ちでいっぱいになっていく反面、中国各地で相次ぐデモから不安を覚えざるをえませんでした。しかし、今だからこそ私は中国に行って自分の目で中国を見つめるべきではないのかという思いがその不安を上回りました。
行き先が変更され、河南省の大学生との交流がなくなってしまいましたが、行く先々での出会いが私に新たな中国を教えてくれました。最も印象深かったのは、全青連主催の歓迎宴です。そこで、偶然にも北京大学の学生と話すことができ、中国の学生が心から日中関係について考えていることや、さらに友好関係を発展させていくために何をすべきか模索していることが伝わってきました。こういうことは中国に行って、中国人と実際に話をしてみないと経験できないことだと思います。
私がこの訪中団に参加し、帰国して思うことは、もっとたくさんの日本人に中国へ赴いてほしいということです。事実、私の中国に対するイメージが大きく変わっただけでなく、自分自身の物事の考え方も変わりました。周囲の情報や自分の直感に惑わされずに目で見て感じることの大切さをこの訪中で学んだのだと思っています。帰国後、ニュースで報道される出来事を、これは本当なのかとまず疑いを持つ自分がいることから、訪中を機に視野が広がったことが実感できます。
(文化分団大学生 女性)
ポップカルチャー交流から生まれるもの
今回、光栄にも「ポップカルチャー分団」の一員として日本青少年訪中代表団に参加させていただいた。
中国には、日本のポップカルチャーを輸出する(主に音楽コンサート活動)仕事を通じて5年前ほど前から年に一度は訪れている。沿岸部の都市と内陸部の都市とで、情報普及速度や反応の仕方に多少の差異はあれど、訪中のたびに感じ、このたび初めて訪れた都市でも強く感じたことは、日本や韓国のポップカルチャーに中国の若者達はかなり精通しており、深い興味と好意を持ってくれている、ということだ。音楽、アニメ、ファッション、映画、漫画、TVドラマ等-。いまや世界中の若者達に多大な影響力を持つまでになった日本のポップカルチャー。インターネットが加速度的に普及した昨今、中国も例外ではない。
ことポップカルチャーの分野においては、「中国でまだ展開していないのだから、知られているわけがない」という固定概念は、すぐに捨て去ったほうがいいかもしれない。日本のポップカルチャーは、「認知されている」の域をとうに超えて、現地にはすでにマーケットが形成されていることを前提で、むしろ企業側、コンテンツ・ホルダー側は考えたほうがいい。マーケットには、日本からの正規版(オフィシャル)商品の供給だけが遅れているという現実を、もう直視しなければならない時期に来ているというのは、今回の訪中でも改めて感じたことだ。
そしてある意味ポップカルチャー・コンテンツそのものでもある、アーティストやモデル、デザイナー、それらに携わるプロデューサーやクリエイターたちが中国に出向き、直接中国の若者達やクリエイター、マスコミ、外交関係機関の人達と接することの必要性や意義を強く感じたのも今回の訪中だった。国が異なれば「常識」さえも変わる。歴史文化も法律も教育内容も異なる環境下で育った人達どうしが、簡単に分かり合える、心を通わせることは容易ではない。言葉や文字だけで、互いを深く理解することは難しい。そして相手に対して心を開くには多少の勇気もいる。だが出会った中国の人達の、緊張気味で硬かった表情や態度が、とたんに笑顔に変わる奇跡の瞬間に、今回も遭遇した。
幾つかの歓迎式典で唄うため、日本から連れていった女性シンガー達の歌唱パフォーマンスがホテル内にある大きな式典会場で始まったときのことだった。パフォーマンスを終えてステージを降りた直後から、中国側主催者であった外交・友好機関関係者もとより、その会場にいたステージ制作・音響制作関係者、またVIP警護やゲスト・アテンドをすべき若いホテル従業員までもがその女性シンガー周りにどっと列を成し、写真を一緒に撮らせてほしい、サインが欲しいと殺到した。CDはどこで買えるのか、何というブランドの服なのか、と明らかに勤務中の若いホテル女性従業員が、目をキラキラさせながら興奮気味に聞いてきた。感動や感激を一緒に共有し合えたと感じた時、そして、相手が「自分の好きなものを好きだ」と認識したとき、その現象・奇跡が起きる。
今回のケースは「J-POP(ジャパニーズ・ポップ)」と呼ばれるジャンルの歌唱パフォーマンス後の現象だったが、過去に「原宿系ファッション」と呼ばれる日本の若者向けファッション・ブランド合同のファッションショーや、日本のアニメ上映会等イベントでも、同じ現象を過去に目撃、経験している。
今後の日中関係を築くのは、今の若者達。誰もが情報発信の出来る今とこれからの時代、世論を形成するのも、デモ活動を起こすのも、それを止めるのも普通の若者達だ。そんな中国の若者達の大多数は、リアルな日本と日本人をおそらくまだ知らないだろう。しかし、その日本人が創り出した「ポップ・カルチャー」というジャンルの文化ないしコンテンツには、多くの若者達がすでに高い興味と好意をもってくれている。それは少なからず「日本」という国、そして日本人への関心・興味にも繋がっている。そこに、今後の日中関係をいい方向に導くための文化外交・文化交流の在り方のヒントが大いにあると、改めて感じた訪中だった。
(ポップカルチャー分団 男性)
いけばなデモンストレーション披露と文化交流
予定されていた河南日本週間が諸事情により延期になった。報道などで中国に対して、多少の憤りを感じていた。そして、日本週間の延期が決まった時、正直他6名に訪中して頂くべきかどうか考えなかったと言えば嘘である。しかし、他の池坊からの参加者達の「参加する」という声を聞き、私の気持ちは固まった。「そうだ。こういう時こそ文化の力だ」と。私は「文化」はその国の根底にある「個性」だと思う。「らしさ」と言ってもよい。日本人の持つ独特の文化は、世界から尊敬される美しい文化であり、その文化が日本人の行動の規範になっている。何事も力ずくというより、うまく調和させ、融和する。そういう日本人気質も文化によって育まれている。逆にこういう微妙な時期だからこそ、日本人の美しい心の文化を多くの中国の方に知って頂き、またお互いの持つ文化を知ることで尊敬し合える機会になればと考えたのだ。
渡航前から日中友好会館の皆様に「一応いけばなデモンストレーションが実施できる用意を持参している」「是非やらせてもらいたい」と無理なお願いをしていた。また北京市到着後も、銀川市到着時も繰り返しお願いした。そして、ついに銀川市の交流会で披露する機会を得たのだ。急なスケジュール変更の中、調整を頂いた日中友好会館の皆様と全青連の何部長はじめスタッフの皆様に本当に感謝申し上げたい。
当日の花材調達も楽しいものであった。万里の長城近くで葦を切ったり、回族博物館でバラを切らして頂いたり、ホテルでは無理を言いアレカヤシの葉を切らせて頂いた。中国の方は協力的であったし、逆に「この人たちはこれを切って何をするのだろう」とやや不思議そうだったのが印象的だった。地元の花屋さんからも、交流会開始5分前に花が到着。少し焦ったが、なんとか花材も準備することができた。デモンストレーションでは、池坊550年の歴史を簡単に紹介した上で、伝統的なスタイル「立花」と現代的なスタイル「自由花」を披露。現地の中国の方だけでなく、一緒に訪中していた多くの日本人学生たちが、立ち上がり最前列で話を真剣に聞き、デモンストレーションの様子を写真撮影していた。2作に続き、中国の皆さんと日本の皆さんが壇上に上がり、皆で作品をいけ上げる作品を披露。中国日本の両国の参加者が皆笑顔で花をいける。ひとりひとりの個性が違うように、いけあがった花もそれぞれが違うのがいけばなである。しかし、皆でいけた作品は不思議と一体感があり、とても楽しい仕上がりとなった。まさに「友好の花」が咲いたのである。
今回の訪中団に参加し感じたことは、文化交流の重要性だ。若い世代が、お互いの文化を知り、尊敬し合、認め合う気持ちを持てれば、未来は変わるのである。日本各地に池坊を学ぶ若者が多くおり、今後ぜひ池坊からの派遣を増やして頂くとより良い交流ができると感じた。
(文化分団 男性)
・Dコース(地方交流(和歌山)・経済・教育関係者・メディアコンテンツ【太原-青島コース】
2010日本青少年訪中代表団に参加して
2010日本青少年訪中代表団に参加できたことを大変うれしく思っております。出発前から尖閣諸島問題などで日中関係が不安定になり、私自身も初めて中国に行くので不安がありましたがお互いの国が最善の配慮をしてくださり開催されてよかったです。今回訪中させて頂き北京では北京省エネ環境保護センター、中国の伝統文化の京劇を鑑賞させていただき、世界文化遺産の故宮を見学させていただきました。北京で印象に残った所は環境保護センターの参観です。今、環境問題は日本や中国だけではなく世界で問題視されていることでその中でも世界でもっとも人口が多く発展著しい中国の北京省エネ環境保護センターに視察できることを楽しみにしておりました。太陽光エネルギーやエコ照明などビルの改装や建設時にさまざまな環境に対し良い物を使い建設したり、そこで働いている方々のほとんどが大学卒業でその分野でのハイレベルな教育を受けているということだったのでこれからの中国の環境問題に対する状況はどんどんよくなってくるだろうなと思いました。日本でもエコカーや家電など身近に感じるものはわかりますがこういう施設には行ったことがないので日本でも機会があれば行ってみたいと思いました。
大原では中国でも最大の鉄鋼会社、移動しながらりんごやぶどう、ナツメなど様々な作物を作られている農地を視察させていただきました。中でも農地の視察は今回の訪中でも一番楽しみにしていました。作られていた作物とは直接関係はありませんでしたが梅干関係の仕事をしているため中国の農業に興味がありました。和歌山県はみかん、梅など有名な農作物がありますが植えている土地を見ると急傾斜のところが多いです。他府県ではそのようなところは少ないので和歌山特有のものですが今回視察させていただいた所は緩やかなところが多かったので生産環境はいいなと思いました。ですが日本では機械を使い仕事を円滑に進めるようほとんどの農家の方が個人で機械を所有していますが私が見た限りではあまり機械は見なかったのでまだ機械化に対応はできていないのかなと思いました。やはり所得の違いもあり道具に頼ることができない状況だと思います。それでも世界への輸出も多いので日本も中国もお互いによくなることを期待しています。
青島では電化製品のハイセンス、オリンピックヨットセンターを視察させていただき勉強になりました。
今回の訪中を通じて中国発展の一部を視察することができいい刺激になりました。今後の仕事にも活かせるところは活用したいです。そして和歌山分団はもちろんのことほかの分団の方々とも交流でき大変うれしく思っております。今後ともこうゆう機会がありましたら積極的に参加したいと思います。
関係者の方々今回は本当にありがとうございました。
(地方交流(和歌山)分団 男性)
日中メディアの未来協力を探る
「日本ともっと交流しなければならない」
日中情勢が複雑化する中、日中青少年交流事業で出会った中国人たちは、極めて友好的で日中間交流に前向な反応を見せていたことが最も印象に残った一つです。各訪問地での日本への印象や歓迎ぶりは好意的で、言い換えれば、戦後の文化・観光交流や経済活動などで日中間が良好に推移している事が垣間見えました。
特に、山西省太原のラジオテレビ映画局を訪れた際には、日本の放送局との番組の共同制作や相互交換等で協力・連携の可能性を見出せたことが最も大きい収穫といえました。現状では、「富士山や桜などが放映されている」とし、地上波でも少しずつ海外映像への理解が進んでいることも好材料でした。また、インターネット関連でも「クレヨンしんちゃん」など日本のアニメが浸透し、青少年の間で人気が高いことが伺えました。若い世代では、過去の歴史的背景を踏まえつつも、ネット社会での文化交流の一端を感じました。ボランティアとして通訳を務めてくれた中国人の学生たちからも「日本のアニメに興味があり、日本語を勉強している」という声が聞かれ、十分に発展できる産業の一つであると実感しました。その上で、中国人の関心が高いとされている観光や音楽番組で、どのような連携や協力体制が構築できるのかという課題が見つかりました。
一方、山東省の青島港では、国際的なハブ港として、鉄鉱石や食料品など大規模なコンテナ貿易の様子を目の当たりにし、急速な高度成長をみせる中国経済の今を強く感じました。国際物流の面でも世界有数の港として整備が進んでおり、成長段階の過程に過ぎないことも印象的でした。
今回の交流や視察を通して、成長著しい中国経済や海外文化が浸透している現状を学ぶことができ、互いに協力し発展できる可能性を十分に感じました。今後、メディア関係の分野で地域コンテンツの相互発信に向けて、具体化の方向性を探りたいと考えます。
(メディアコンテンツ分団 男性)
2010日本青少年訪中代表団に参加して
初めての中国訪問であった。GDPが日本を抜き,アメリカに次いで世界第2位となるなど,目覚ましい経済成長を続ける中国。その一方で,伝わってくる情報は日本に対して批判的なものばかりで,中国の情勢を知る手段が新聞・テレビのニュースのみである私にとって,訪中前の中国に対する印象は決して良いものではなかった。強い興味と大きな不安を抱えての訪中であったが,自らの目で見て,直に肌で感じたことで,これまでの考えは一新された。
中国に降り立ち,まず目に飛び込んできたのは近代的なビル群と車の多さである。人々はスーツを身にまとい,外国産の車を運転して慌ただしく職場へ向かう様子がうかがえた。日本の都市部と同様の通勤ラッシュで,中国経済躍進の一端を垣間見た。
北京での最初の訪問地であった北京第八中学校の参観は,今回の訪中で大変印象深いものになった。カリキュラムでは学問分野が細分化され,それぞれに専門の教師を配置して,生徒の進路実現と技能・能力を開発,深化させる教育の仕組みが整っていた。教師には階級制があり,教師間の競走で日々の研究・修養に努める状況がうかがえた。また,洗練された教師陣同様に,施設・設備も大変魅力的であった。広々とした3つの体育館,50mの屋内温水プール,そしてなんと言っても驚かされたのは全天候対応のトラックと人工芝のフィールド,電光掲示板を備えたグランドである。保健体育科の教員である私は,日本の公立学校では考えられない充実した体育施設に圧倒された。国際化が急加速する中で,将来を見据え,学校教育の重要性を国家が認識し,これからの中国を牽引するリーダーの育成に最大限の教育と資金が注がれていた。
今回の訪中で,これまでの私は,中国を含めた諸外国の情報に対して受け身であったということを実感した。メディアが伝えるのはほんの一部分であり,実際に中国の人々とふれあうと私たち日本人に対して親近感をもって大変友好的に接して下さった。私の立場ではできることに限りはあるが,教育活動を通じて中国という国の熱意と向上心,人の温かさを伝えていきたい。そして,機会があれば再び中国を訪れたいと思う。
最後になりましたが,中国訪問というすばらしい機会を与えて下さった日中友好会館の皆様,関係各位の皆様に感謝を申し上げます。
(教育関係者分団 男性)
山西省における経済成長と農業分野での戦略的互恵関係への発展について
1.日程全体を通して最も印象に残った事柄
・内陸部(山西省太原市)の建設ラッシュ風景
・中央政府の投資政策が、内陸部・農村部へ目を向けだした動向
・農村部一世帯あたりの所得水準は、都市部に比べ格差が大きい
・現地の農業インフラ整備と生産性の課題
経済分団は北京を発ち、空路にて太原へ移動した。降り立った太原の空気は、日本と何ら変わらない清々しい秋の空気だった。空港から宿舎までの車中で見た太原市内の風景は、首都北京とは比べものにならない何百もの高層住宅建設ラッシュに沸いているものだった。「田舎の地方都市」という当初の予想を裏切る、逞しい経済成長の姿に圧倒された。
農場視察(太谷県)では、①中央政府が経済発展の力点を農業分野に軸足を移しつつあること、②沿海部の大消費地に近い立地にあり、更なる食料供給が期待されていること、③近代農業(ビニルハウスなど)を採用したモデル地区においては格段に生産量が拡大した、との説明を受けた。
確かに、従来までのとうもろこし栽培から、トマトやイチゴなどのハウス栽培、ナツメやりんごなどの果樹栽培あるいは苗木といった高付加価値作物の生産がモデル事業として成功は収めているものの、降水量の少ない乾燥地域において、インフラが十分に整備されていない状況では、栽培に適した作物に制約がある。また、現在の経営が零細なものであれば、積極的な投資は困難となるため、農業の近代化普及には相当の時間を要するものと考えられる。
農場では、地元の農業に従事する方と会話する機会に恵まれた。一緒に記念撮影しようとリクエストしたが、恥ずかしがって写真に収まろうとしない女性や、日本人の団体が押しかけ普段とは異なった雰囲気に興味津々な子供たちなど、素朴で純粋な人柄にも印象を受けた。
2.所感
・日中間の戦略的互恵関係を活性化させるため、農業分野で貢献できる素地は高い。
・日中双方に存在する長所・短所は、相互補完できる可能性が高い。
・日本から提供できる技術・知識は、産業界に幅広く存在している。
昨今、日本で叫ばれている農業の問題は、①低い食料自給率、②少子高齢化による後継者不足、③安価な輸入品との競争などが挙げられている。一方で、消費者ニーズに応じた品質を提供する品種改良や栽培技術、生産性を高める農業インフラの技術、食の安全を保証する農産物の流通システムの整備など、世界に誇る高い技術を日本は構築してきた。
日本は先ず、これらの多岐に渡る技術・知識を産業界から広く集め、中国農業の発展のために深く思考することが必要ではないかと考える。個別企業の損得勘定に走ることを避け、チーム「オールジャパン」による国レベルでのソリューション型営業を実践することが、両国が持つ課題解決への近道になるのではないだろうか。
豊富な労働力と広大な耕作地、成長著しい市場を抱える中国の農場で、日中両国が「強み」を補完することによって相互発展を図れる可能性は極めて高い。そして、この行動の実現によって、農場で出会ったあの子供達にもっと輝いた未来を見てもらえることができるのならば、日本人としてこの上ない幸福である。
(経済分団 男性)
・Eコース(メディア・友好団体・地方交流(兵庫))【昆明-広州コース】
日中青少年交流事業に参加して
本音を言えば、今まで中国に対して特別な興味はありませんでした。中国という国の理解といえば、テレビ等で得た断片的情報のみで、特にここ最近の反日デモに関する報道などから親日とはほど遠いイメージを受けており、このような状況下で、どのようにしてこの日中の交流が円滑に行われるのか、非常に疑問を感じていました。特に今回は、中国側の希望によるガールスカウト枠においての参加ということでしたが、ガールスカウト活動自体が存在しない中国において、ガールスカウトとして参加することの意義というものが見いだせず、戸惑いもありました。
そんな中、ガールスカウト活動に通じる部分のある、中国青年ボランティア協会と、雲南省青年ボランティア活動と交流を持てたことは、やはり深く印象に残っています。世間一般にボランティア団体という認識を持たれるほどボランティア活動が活発で、実際に老人ホームへの慰問や、募金、地域のお祭りなどでの奉仕などにも積極的に参加をしているということもあり、中国ではどのようなボランティア活動が行なわれているのかという部分に、非常に興味がありました。 私の勉強不足といえばそれまでですが、まず中国にボランティア活動というものが組織立って存在しているということにも驚きましたが、とりわけ雲南省青少年ボランティア活動の方との交流では、ガールスカウトでも行っているような、貧困地域への文具等の物的支援を行っているということを知り、情報の共有を出来たことで、中国という国を身近に感じることができました。
その一方で、これらの交流の中で、中国では地域での貧富の差が激しく、内陸の地域ではきちんとした学校教育をうけることのできない子供たちのためにボランティアが教育を行っているという話には複雑な心境になりました。世界的には中国はGDPが世界一位になったり、北京五輪や、上海万博などで活躍したりと、先進国の仲間入りを果たした印象があり、内陸部との貧富の格差も理解はしていましたが、実際には1人のボランティアが200名の生徒の授業を行う等の過酷な状況があったりと、中心部の急成長に足並みが揃っていないといった印象は否めませんでした。先方からは、まだ中国はこのような面から発展途上の面もあり、日本からの支援も期待しているとの発言がありましたが、国内の貧富の格差等は、ボランティアや募金で賄う部分ではなく、正式に政府が対応していかなければならない部分なのではないのかという疑問は残りました。
また、当初懸念していた反日感情については、今回の全日程を通し、触れ合ったさまざまな中国の方々の献身的な対応に、実際には日常メディアから得る反日感情等のイメージとはかなり異なるのではないかと感じました。尤もこのような活動に反日感情の高い方が参加されることはあまりないかと思いますが、すべての人がメディアで報じられるような状況ではなく、親日の方も多くいらっしゃるとわかっただけでも嬉しく思いました。
この訪中を通し、実際の中国姿を目で見て、体験でき、非常に自分自身非常に、勉強になったと思います。厳しい状況下でご尽力くださった日中友好会館のみなさまや、外務省の方々には本当に頭が下がる思いです。外交等では色々とまだ問題も多いかとは思いますが、せめて私の見た中国を周囲に伝えることで、少しでも中国に対して興味を持ってくれる人を増やしていきたいと思います。
(友好団体分団 男性)
2010日本青少年訪中代表団に参加して感じたこと
10月19日(火)から25日(月)まで、北京から昆明、広州まで兵庫分団の一員として参加させて頂きました。まず、このような機会を作っていただいた、中国並びに日本の各関係機関に感謝致します。中国に出発するまでは、日本と中国の尖閣諸島問題で両国の関係が緊迫しており、少々の不安もありました。北京空港に着いたときも、緊張でいっぱいでしたが、終わってみれば本当に素晴らしいメンバーに恵まれ、有意義な滞在だったと感じております。
私が特に印象に残ったことについて、二点述べさせていただきます。
一つ目に中国の青少年を対象に学校建設や地方都市の子どもたちの就学支援、職業訓練などを中国の有志団体等からの支援で行っている中国青少年発展基金会という団体が、活動の際にいつも心に留めている「人に魚を与える(授人以魚)よりも、魚の取り方を教える(授人以漁)ほうが良い」という言葉が心に残りました。日ごろ仕事をしていく中で、先に先にと回答や成果、結果を求めがちな生活の中で、この言葉の中の「魚の取り方」を「仕事」をしていく過程だと考えると、とても納得させられます。中国青少年発展基金会のなかでの職業訓練が「魚の取り方」を示しているとすれば、今後の更なる中国の発展を担う中国の若者たちの躍進に大いに期待できると感じた瞬間でした。
二つ目に、昆明での日本語学科の学生との交流です。私たち兵庫分団のバスには5名の学生がボランティアとして参加し、一緒に昆明を観光しました。学生たちはとても賢明で、中国語はもちろんのこと、英語、日本語をとても上手に話し、謙虚で見習うべきところがたくさんありました。近頃、テレビで放映される中国のデモなどの様子を見ているとどうしても中国の方が、自己主張が強く、感情の起伏が激しいように目には映りがちですが、実際、それは作られたイメージであり、交流していく中で、日ごろの人を決め付けて接している自分に気づかされ、反省させられました。
日々の生活は慌しく、気づけば1日が終わってしまう中で、改めて仕事や生活、日中関係について再考する素晴らしい機会を与えていただき、本当に感謝しています。有難う御座いました。