公益財団法人日中友好会館の設立の経緯
戦前、満州国留学生のための学生寮を運営していた財団法人満州国留日学生輔導協会が、終戦により事業遂行が不可能となって解散、昭和28年5月23日付をもって設立された財団法人善隣学生会館が、同協会の残余財産と学生寮運営事業を引き継ぎました。
その後、昭和39年には、中国語学習のための専修学校日中学院を併設し、事業内容を拡張していきます。昭和47年になると日中国交正常化により、両国の交流は各分野で急速に深まり、昭和48年からは中国人留学生の派遣が開始され、受入施設の充実の必要性が高まっていきました。そして、昭和55年に、両国首脳会談で日本側から新しい会館建設計画が示され、計画具体化の段階で財団法人善隣学生会館の土地が新会館候補地に選定され、財団法人善隣学生会館が新会館建設の事業主体に決まります。建設事業は両国政府合意の国家的事業として位置づけられ、両国政府はもとより、広く各界各層の全面的支援体制の確立が不可欠のため、昭和58年8月31日付をもって寄附行為および理事構成の変更(政・財界並びに中国民間代表の理事受入れ)による法人改組を行い、法人の名称を財団法人日中友好会館と変更します。
新会館の建設は、昭和59年から開始され、昭和60年3月、中国人留学生寮(後楽寮)および日中学院からなる別館が完成し、次いで昭和63年1月、事務局・日中友好会館美術館・大ホール・ホテル(後楽賓館)・貸室などからなる本館が完成しました。 公益財団法人日中友好会館の使命
日中両国政府ならびに国民各層の多大なご支援のもとに、4年有余の歳月をかけて完成した日中友好会館は、両国民の交流の拠点としてその存在意義は極めて大きく、日中関係の一層の発展に寄与するものとなりました。今後、この拠点を有効に活用して、両国の交流を促進し、名実ともに日中友好を増進することが、日中友好会館に課せられた使命であると考えています。 |